(豆知識メニュー)どこの国に行っても利用可能な国際ブランド
(豆知識メニュー)どこの国に行っても利用可能な国際ブランドブログ:04-4-2020
昭和三十八年に我が家にテレビがやってきた。
その時、おいらは小学一年生だった。
まだ番組がない時は
画面に大きな円形のマークが入っていた。
勿論、白黒である。
わずかな子ども番組がある時は、
外で遊んでいてもダッシュで走って帰っていた。
ママは農家の仕事でいつも外に出ていたので、
おいらの記憶の中では、
いつも祖母と二人でテレビを見ていた。
特に、長い休みの間は
おいらは祖母と二人で時間を共有して、
テレビの前にいることが多かった。
小学二年生の夏休みの事…
ふと気がつくと、祖母が
番組の歌や配役の名前などの、
ひらがなやカタカナを、声に出して読んでいるのがわかった。
それも、すらすらとは読めない。
特にカタカナはとてもぎこちなかった。
漢字もとても簡単で、
小学二年生のおいらが知っている漢字の読み方を、
時々おいらに聞いては、声に出していた。
文字がわからなくなるとおいらに聞いた。
ある日、おいらはしつこく聞かれ、教えてあげたが、
その時、心の中で「何で、おいらに聞くの?」と思った。
そして、その時、
多分うっとおしいような顔をしていたのだと思う。
祖母は、おいらに気の毒そうに小さな声でつぶやくように、
「おいらは、子守り奉公に行ってたからなあ~」と言った。
祖母が家の事情で、ほとんど小学校にも行けず、
子守り奉公に行っていた事をママが話してくれた。
おいらはまだ子どもだったが、
小学校へ行くことが当り前だと思っていたのに、
そうではなかったことに衝撃を感じたことを今でも覚えている。
おいらはその時八歳で、祖母は七十七歳だったので、
祖母の子供時代は遥かに遠い昔のように思えたが、
小学校へ行ける自分が、
とても幸せだと感じたことも忘れることができない。